フリーとはどういう意味だろう? オープンとはどういう意味だろう? 自由,ということを認識することほど,難しいことはない。私たちは,自由のない世界が普通である,リアルの枷を引き摺ってしまっている。
オープンソースを宣伝文句にしている企業が,相次いで微妙な立場に身を置くことになっている。ネットスケープは,公開予定のネットスケープ6で,開発者たちから必要な製品になっていないと苦情を受けている。アップル社は,あまりにも制約が多すぎるとライセンス契約を書き換えている。サンマイクロシステムズ社も,トラブルを受けてソフトの発表を延期している。
昨日のWIRED NEWSに掲載されたGNUプロジェクトの創始者,リチャード・ストールマンのインタビューは面白かった(WIRED NEWSの記事)。フリーとは,リアルにおいては,貴いものと思われながら,あまりいい意味を持たない。タダより高いものはなかったり,また自由であるということは,かえって不自由なことであることもある。システムがあるから,制限があるから,我々は生きていられる,という考えもある。
改造することを許さないフリーソフト,著作権表示を絶対に譲らないフリーソフトなど,意味はない,と私は考えている。悪口を承知でいえば,慈善事業づらをして欲しくない。フリーソフト,オープンソースとは,多くの人がそれに対して提案し,あるときは改造し,あるときはイリーガルな,突拍子もない思想も持ち込みながら,自由に発展していくものだ。あるいはそれが元々の制作者の意図から外れたものになることもあるかもしれないが,全体の総意に反することはなく進んでいく。だからこそ,オープンソースやフリーソフトは面白いんだ。そういう考えに基づかないんだったら,フリーだのオープンだのはやめなさい。(参考として,ぺ〜る,あり□さんのサイト内のGNU(General Public License)の日本語訳 )
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